私は英米で出る学術書の注文のほとんどをある書店にまかせているが,その書店からメールで,わが大学の中央図書館が,期間限定で,新聞・雑誌データベースや電子ブックのトライアル検索のサービスをしていると知らせてきた。さっそく試してみた。
あまり,というか,ほとんど読まれていないこのブログで,ひとり気炎を上げたところでむなしさが募るだけなのだが,予想以上に役に立ちそうにないデータベース類を目の当たりにして,はっきりと言ってがっかりした。
公平のために予め断っておけば,英語という言語を媒介にして入手できる情報は,量の点でも,多様性の点でも,レベルの高さの点でも,他のどんな言語にもまねの出来ないものであることについて,私がつゆほども疑っているわけではない。私自身,英語の学術文献なしには研究が成り立たない。これは本当である。
しかし,英語が万能ではないことをここまではっきりと示してくれるケースはめったにない。新聞の紙面そのままの電子版が読めると歌っている新聞・雑誌のデータベースの場合,エストニアの新聞は一紙も参加していないし,フィンランドの新聞も比較的マイナーな地方紙が読めるだけである。このデータベースを使えば,フィンランドやエストニアの新聞の紙面が無料で(=直接自分のふところを痛めないで)いつでも読めるなどというばら色の世界を一瞬でも思い描いた私は,根本的かつ救いようのないバカだったわけだ。
早い話が,このデータベースの利用契約を大学の中央図書館が高いお金を払って結ぼうが結ぶまいが,フィンランドの Helsingin Sanomat 紙の印刷板の記事が必要なときは,その都度,記事一ついくらというふうにクレジットカードで支払って読むというこれまでの習慣を変える必要がまったくないことが判明しただけだ。エストニアの場合も,これまで通りオンライン版の Postimees 紙の無料記事を読むだけのことである。
これは,書籍の場合と原理的に似ているところがある。英語圏以外の情報をほとんど持たない洋書取扱店に頼むよりは,自分でフィンランドやエストニアの書店とオンラインで直接取引する方法のほうがが,はるかに効率がいいし,また確実である。ここまではっきりと認識すると,かえってすがすがしい。
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