フィンランド映画祭 2012
フィンランド映画祭なるものが今年も開かれるようだ。興味のある方はどうぞ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2007年は,フィンランドで初めて映画が作られてから100年目だったらしい。Helsingin Sanomat 紙の記事アーカイブ(有料)をネットで検索してみたら,新聞読者が選んだフィンランドの映画100選がというのがあった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ヘルシンキのデザイン博物館 Designmuseo で先月(10月)半ばから,来年(2012)1月8日まで,フィンランドのコミック100年展が開かれている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
フィンランドの国立美術館 Ateneum で,来年の1月8日まで Lapin taika ラップランドの魔力 という特別展示をしている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
インターネットを見ていて気づいたのだが,サンタクロースは英語を話すと決めてかかっている大人が日本にはたくさんいるようだ。私は長野県の田舎生まれなので,クリスマスとはほとんど縁がない生活を送って育ち,クリスマスというものがどういうものかがある程度わかったのは,留学でフィンランドに住んだ時である。そのとき以来,サンタクロースはフィンランドに住んでいると信じてきたので,「サンタクロース=英語」という図式に馴染めないでいる。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Helsingin Sanomat (2010/11/13) の文化欄の記事によると,ソフィ・オクサネン Sofi Oksanen の小説「粛清」 Puhdistus (2008) の映画化の企画が進行中とのことです。フィンランド語の映画で,来年または再来年の制作開始を目指して,今,資金集めをしているそうです。これだけ評判の小説なので,スポンサーがきっと見つかるのではないでしょうか。期待しましょう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ある人から runo とは何かと聞かれました。エストニアの合唱団の指導者が,使っていたというのです。私も大したことを知らず,知っている(と思っている)こともあやふやだったので,にわか勉強をしてみました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ヘルシンキの現代美術館 Kiasma で Ilja Glazunov ja Suomi / och Finland 「イリヤ・グラズノフとフィンランド」という特別展を8月29日までやっている。ケッコネン大統領生誕110年をきっかけにして,ソ連の画家の作品を通じて,ケッコネン時代のフィンランドとソ連邦の関わり,あるいは,芸術と政治との関わりを回顧してみようという企画らしい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「フィンランド駅」と聞いて,ああ,ペテルブルクにある鉄道の駅のことね,とわかるのは,日本では相当なロシア通かもしれない。フィンランド駅は,1870年に開通した,フィンランド大公国の首都ヘルシンキと,ロシア帝国の首都ペテルブルクを結ぶ鉄道のペテルブルク側のターミナルとして作られた駅で,ロシア語名は Финляндский вогзал という。ロシアの鉄道のターミナル駅の命名法を知っている人は,ペテルブルクにモスクワ駅があって,モスクワにレニングラード駅やカザン駅などがあることを知っているはずだが,それと同じ原理でついた駅の名前である。
ロシア帝国の首都がペテルブルクだったと聞くと意外に思う人が多いかも知れない。参考までに,ロシア革命は,現在のロシアの首都モスクワの赤の広場で起こったのではなくて,当時のロシアの首都だったペテルブルクの現在のエルミタージ宮殿の前の広場で起こったというのが歴史的には正しい。もっとも,このあたりの史実は,徳川幕府の最後の将軍慶喜が,江戸城ではなくて,ほとんど京都にいたらしいという史実と同じくらいなじみが薄いことかもしれない。
ペテルブルクのフィンランド駅がなぜとくに有名かというと,フィンランドに潜伏していたレーニンが,二月革命が起こった後,4月になって,ヘルシンキとペテルブルクを結ぶ鉄道に変装して乗り,ペテルブルクのフィンランド駅に無事に降り立って,駅前の広場の演壇で,革命的な労働者たちを鼓舞する歴史的な演説をしたという伝説があるためである。
それを記念するために,フィンランド駅前の広場にはレーニンの銅像が建っていたのだけれど (私はちゃんと見たことがある),1年前の4月1日に爆破されてしまったらしい。その代わりの銅像が,今年の4月21日のレーニン生誕140年祭を前に披露されたらしい。 [ エストニアの新聞の報道 ]
ロシア革命とフィンランド駅のかかわりについては,アメリカ人の Edmund Wilson が 1940年に書いた To the Finland Station (邦訳:エドマンド・ウィルソン「フィンランド駅へ」 みすず書房 1999) に詳しい。
参考までに,ペテルブルクは,フィンランド語では Pietari ピエタリと呼ばれる。これは,ペテルブルクの地元の愛称 Pieter (オランダ語起源) がフィンランドに入ったもので,生え抜きのペテルブルク人は,この町のことを「ピーター」という名前で呼ぶようだ。えっ「サンクト」でしょう? などと言う人は,ロサンゼルスを「ロス」と呼んで気取っている人といい勝負である。
ところで,この写真の背景の夜間照明された建物が,どことなく,ヘルシンキの Senaatintori の東側の建物に似ていると思った人がきっといるはず。実は,ヘルシンキの中心部は,ペテルブルクの町並みのいわばミニチュアとして作られたというのはよく知られた事実である。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント