五木寛之「霧のカレリア」
五木寛之が「霧のカレリア」という短編を書いている。『白夜物語』という角川文庫の短篇集に1971年に収められたのが最初らしいが,昨年電子書籍化されて,電子版が手に入る。
以前読んだことがあったのだが,日本のアマゾンの Kindle ストアにあることがわかって,今日改めて iPad でもう一度買って (85円!) 読み返した。
アマゾン Kindle ストア: 霧のカレリア (五木寛之ノベリスク)
アマゾンの Kindle 書店の内容解説はこう書いてある。
《冬木衛は、祖父の代からのガラス工芸会社を5年前に再建したが、民芸品ブームが去り経営の危機に立たされていた。そんな折、提携先のデパートから持ちかけられたのが、北欧ガラス器のデザイン盗用の話だった。冬木はそれを受け入れフィンランドに渡った。ヘルシンキの街で、ガラス工芸店に勤めるアイノという女性と親しくなる。彼女から聞かされるフィンランドの歴史とカレリア地方の悲劇の話が、冬木の愛国心を揺さぶった。》
登場する若いフィンランド女性が Aino というカレワラと関係のある名前なのはお決まりだが,私から見ると不思議に思えるのは,カレリアのイメージだ。フィンランドが Suomi-neito という娘だから,フィンランドが慕うカレリアは,青年のはずだというイメージが私にはあるが,日本ではカレリアを女性としてイメージする傾向があって面白い。カレワラという叙情詩も,歌っていたのは女性たちかも知れないが,やはり,男の英雄たちの出てくる物語だから,女性的というわけではない。
私がはじめてヘルシンキに住んだのは,この短編小説の舞台となった時代(1965年)より10年以上も後のことだ。それでも,フィンランド航空の直行便が飛ぶ前だから,東京から見るとヘルシンキは,釧路か室蘭かというイメージの遠い北の街だった。Vainikkala という駅で出国手続きをすると,本当に何もない国境地帯を列車は進み,今度はソ連側の税関チェックとパスポート検査があって,スーツケースの中身がすべて調べられたことを思い出す。ただ,「次は Vyborg で,入国手続がある」という英語のアナウンスがあったという記憶はない。私のスーツケースの中から,当時ソ連の国内に持ち込むことが禁じられていた聖書のエストニア語訳を見つけた国境警備の兵士が,相方に Это не библия? これ聖書でしょ? と話しかけていたことばだけ妙に鮮明に耳に焼き付いて残っている。何も没収されることなく,そのまま通してもらえたのは幸いだった。
私の学生時代のヘルシンキはこんなに垢抜けた感じだったかなあ,と思うが,それはさておくとして,フィンランド人が今と違って,どこか自信がもてない,暗い性格という印象があったのは本当である。その雰囲気が,小説を読んでいると,よく出ているので懐かしい。もちろん,この小説の伝えるヘルシンキの雰囲気が当時のままだというつもりはないが,映画「かもめ食堂」でイメージするヘルシンキとは,ずいぶんと違う冷戦時代のヘルシンキがあったということを思い出すきっかけになるのではないかと思う。
【補足】 この作品の紹介をしているウェブページがありました。いろいろな読み方があっていいと思います。
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