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旅情ミステリー,または映画・かもめ食堂のこと

 日本人の多くが気に入ったらしい映画「かもめ食堂」が,私にはちっとも面白くないという話をしたが,なぜ面白く感じられないのかということがずっと気になっていて,いろいろ説明を探している。ひとつの説明として,テレビドラマで旅情ミステリーと呼ばれているジャンルの探偵ドラマ,警察ドラマとの類似点があるのではないかと,気づいた。

 典型的なのは,内田康夫の浅見光彦シリーズや,西村京太郎の十津川警部シリーズなどだが,要するに,比較的名が知られている各地の温泉や名所旧跡,風光明媚な場所で,殺人事件が起こって,そこへ主人公の探偵や刑事が出かけていって,事件を解決するといったステレオタイプの展開のドラマである。

 このタイプのドラマは,その観光スポットの宣伝になるのだが,その当地に住んでいたり,あるいはよく知っていたりする人がみると,ことばも風習もとてもその土地のものと思えなず,その違和感が前面に出て邪魔をして,ドラマのストーリーを純粋に楽しめなくなる,という現象がよくある。実際,私の故郷や,よく知っている場所が舞台になっているとき,本来はそこにはないはずの屋台やキオスクが出てきたり,知り合いがやっているはずの店の主人が俳優だったりして,ドラマそのものになじめなかったという経験がある。

 映画「かもめ食堂」も私にとっては,そういうドラマと同じようなものではないかと思う。なまじっかヘルシンキやフィンランド人を知っている(と思い込んでいる)ために,他の映画のように1つの作品として楽しめないのではないだろうか。ただ,私は原作本も買っていて,最初だけ読んで投げ出してしまったくちだから,この問題は映画化される以前の原作にもついて回っている。なんだこれ,なのである。

 週末に,似たような女優たちが出演している「めがね」という映画をケーブルテレビでやっていた。かもめ食堂と同じ監督が,かもめ食堂の次に手がけた作品らしい。ちゃんと最後まで見たわけではないが,主人公の女性(小林聡美) が島にやってきた動機が,携帯電話が通じないだろう,と思ったことだったなどという設定が面白い。この島がどこであるかは見る方にとってはどうでもいい。とにかく,東京などとできるかぎりはなれた環境であることが納得できる風景であればいいのである。映画「めがね」の舞台になった与論島 (?) に行きたくなって,実際に行った人たちが大勢いたらしいが,それは「かもめ食堂」を見て,フィンランドに興味を持ってヘルシンキに行きたくなった人たちの心理と,基本的に同じだろう。舞台となった実際の島や町を知らないことが,映画による異文化体験を保証してくれる。「かもめ食堂」は,「めがね」と同じタイプの日本映画としてみなければいけないのである。

 しかし,りくつでは分かっていても,映画の舞台になった島や町を,映画を見る前からよく知っていると,そういうふうに見ることはできない。舞台がどこだかわかってしまったとたんに,異文化の世界に永久に入っていけなくなてしまうのである。

 話は変わるが,若干33歳で,北欧やフランスの文学賞を次々に受賞してたいへんな評判になっているフィンランド人女性作家ソフィ・オクサネン Sofi Oksanen のエストニアを舞台にした小説 Puhdistus 「粛清」の評価を巡って,エストニア人の意見が大きく分かれている。他の国では一様に好意的な評論が多いのだが,エストニアからだけ非常に手厳しい批判が出ている。この理由は,上に述べた「旅情ミステリー」の受けとめかたの違いが生まれる理由と同じではないかと私は考えている。

 たとえば,日本でも知られているエストニア文壇の第一人者,詩人のカプリンスキ Jaan Kaplinski (1941年生) は「がっかりした。著者はソビエト時代のエストニア社会やエストニア人の生活のことがよくわかっていない」と反発している。およそカプリンスキらしからぬスタイルの批評という気がする。 しかし,これは,自分の町が舞台になっているテレビ・ドラマを見た人間の反応に通じるところがないだろうか。

 特定の時代の特定の国や町を舞台にした文学作品は,問題の時代や町についてある程度の知識がある読者の方が面白く読めるだろうと思われる。オクサネンの「粛清」にしても,スターリンが誰で,ソビエト時代とはどんな時代だったのかについて,まったく何も知らずに読むよりは,ある程度の予備知識があったほうが面白く読めるはずだ。しかし,問題は,その時代や町を現実に体験して,単なる予備知識以上のことを知っている読者が,その作品をフィクションとして冷静に読むことができるかである。結論的に言えば,それは一般に非常に難しいと考えた方がいいようである。

 これからオクサネンの「粛清」(英訳はPurge) を読もうという場合は,共産主義体制がどうのこうのという話は忘れて,主人公の女性の愛がテーマになった小説として読むと面白いのではないかと思う。ソビエト体制は,主人公の悲劇的な愛の舞台装置に過ぎないと考えると,また違った読み方ができるかもしれない。

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コメント

>ことばも風習もとてもその土地のものと思えなず,その違和感が前面に出て邪魔をして,ドラマのストーリーを純粋に楽しめなくなる,

すごくわかります! 私は北海道民なのですが、「北の国から」を見るたびに「富良野」という地名のイントネーションが違うのですごく気になります。

「フィンランド人というものがどんな人たちなのか」ということは、本当に興味深いです。
私が知っているフィンランド人はものすごく限られていますが、日本人ととても似ているようでものすごく違っていて、それがなんなのか、まだはっきりわからないでいます。不思議です。

投稿: みゃお | 2010年10月17日 (日) 00時35分

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