フィンランド駅
「フィンランド駅」と聞いて,ああ,ペテルブルクにある鉄道の駅のことね,とわかるのは,日本では相当なロシア通かもしれない。フィンランド駅は,1870年に開通した,フィンランド大公国の首都ヘルシンキと,ロシア帝国の首都ペテルブルクを結ぶ鉄道のペテルブルク側のターミナルとして作られた駅で,ロシア語名は Финляндский вогзал という。ロシアの鉄道のターミナル駅の命名法を知っている人は,ペテルブルクにモスクワ駅があって,モスクワにレニングラード駅やカザン駅などがあることを知っているはずだが,それと同じ原理でついた駅の名前である。
ロシア帝国の首都がペテルブルクだったと聞くと意外に思う人が多いかも知れない。参考までに,ロシア革命は,現在のロシアの首都モスクワの赤の広場で起こったのではなくて,当時のロシアの首都だったペテルブルクの現在のエルミタージ宮殿の前の広場で起こったというのが歴史的には正しい。もっとも,このあたりの史実は,徳川幕府の最後の将軍慶喜が,江戸城ではなくて,ほとんど京都にいたらしいという史実と同じくらいなじみが薄いことかもしれない。
ペテルブルクのフィンランド駅がなぜとくに有名かというと,フィンランドに潜伏していたレーニンが,二月革命が起こった後,4月になって,ヘルシンキとペテルブルクを結ぶ鉄道に変装して乗り,ペテルブルクのフィンランド駅に無事に降り立って,駅前の広場の演壇で,革命的な労働者たちを鼓舞する歴史的な演説をしたという伝説があるためである。
それを記念するために,フィンランド駅前の広場にはレーニンの銅像が建っていたのだけれど (私はちゃんと見たことがある),1年前の4月1日に爆破されてしまったらしい。その代わりの銅像が,今年の4月21日のレーニン生誕140年祭を前に披露されたらしい。 [ エストニアの新聞の報道 ]
ロシア革命とフィンランド駅のかかわりについては,アメリカ人の Edmund Wilson が 1940年に書いた To the Finland Station (邦訳:エドマンド・ウィルソン「フィンランド駅へ」 みすず書房 1999) に詳しい。
参考までに,ペテルブルクは,フィンランド語では Pietari ピエタリと呼ばれる。これは,ペテルブルクの地元の愛称 Pieter (オランダ語起源) がフィンランドに入ったもので,生え抜きのペテルブルク人は,この町のことを「ピーター」という名前で呼ぶようだ。えっ「サンクト」でしょう? などと言う人は,ロサンゼルスを「ロス」と呼んで気取っている人といい勝負である。
ところで,この写真の背景の夜間照明された建物が,どことなく,ヘルシンキの Senaatintori の東側の建物に似ていると思った人がきっといるはず。実は,ヘルシンキの中心部は,ペテルブルクの町並みのいわばミニチュアとして作られたというのはよく知られた事実である。
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