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下関・タリン間の国鉄切符 - Shimonosekist Tallinna

 エストニアのハープサルにあるエストニア鉄道博物館 Eesti Raudteemuuseum Haapsalus で面白いものを見つけた。日本国有鉄道発行の下関・タリン間との乗車船切符と,ハルピン・タリン間の鉄道切符である。

 前者は 5・6・36 とあるので,1936年6月5日発行,2等切符で金額は 192.35圓,釜山・ハルピン経由と書かれている。後者は 8・12・39 とあるので,1939年12月8日発行,3等切符で金額は 230.77圓。どちらにも,「有効期間 發行日共六拾日」と書かれている。当時は,いまでは想像がつかないようなのんびりした旅だったようだ。

 1939年発効のハルピン発の切符には,Mr. A. Rummel という書き込みがある。この苗字はエストニア人に間違いない。1930年代,朝鮮半島と満州を経由して,日本とエストニアの間に人の行き来があったことがわかる。考えてみれば,当たり前だが,これだけはっきりした証拠が残っていると,かえって信じがたい気がするから不思議だ。博物館では,この人のことはまったく調べていないという。限られた人にしか外国旅行ができなかった時代だから,エストニアの公文書館に記録が残っているかもしれない。

 実は,この2つの切符は実物が展示してあったわけではなく,博物館に所蔵されている各種多数の切符を散りばめた壁いっぱいの写真に写っていたものだ。入り口で入館券を売っていた女性に話したら,学芸員と話したいかと聞かれたので,お願いすると,電話をかけてくれた。あいにく,その日は会議とかで会ってもらえなかったが,翌日は雨だったので,午前中から図書館にいたら,昼過ぎになって,携帯に電話がかかってきた。すぐに来ないかというが,昼を食べていなかったので,1時間猶予をもらって,雨の中を博物館に出かけた。

 待っていてくれた学芸員は,30代後半くらいの若い研究者で,仕事部屋につれていってくれた。私の目的は切符の写真を撮ることだったけれど,鉄道に関係ない世間話も含めて,いろいろな話をしている間に,図書館に戻ってもまもなく閉館という時間になっていた。写真撮影禁止という博物館だったが,切符を写真に撮らせてもらえたのは幸運だった。エストニア語が話せると,ときにはいいことがある。小型のデジカメの写真だから,出来栄えはいまひとつだが,素人が旅先で撮った写真は,まあ,こんなものだろう。

 なお,当時の切符は,パスポートのように複数枚が綴じてある。写真は第1ページと,最後のページだけである。フランス語と並んで英語が使われているのは,面白い。英語はすでに国際語になっていたようだ。Fusan はおそらく日本語風の綴り,Tallin の N がひとつなのは,ロシア語風の綴りであろう。現在は,Busan, Tallinn と書く。

下關─釜山─ハルヒン─ターリン (1936/6/5)
下關─釜山─ハルヒン─ターリンShimonoseki-Busan-Harbin-Tallinn

哈爾濱─ターリン (1939/12/8)
哈爾濱─ターリンHarbin-Tallinn

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