エストニア独立回復の記念日(8/20) - iseseisvuse taastamise aastapäev
8月20日は,エストニアの独立回復記念日で,祝日である。ソ連邦からの離脱宣言をした1991年8月20日を記念する日で,今年は独立回復20周年。
エストニアは,1991年のソ連邦崩壊の年に独立したと考えている人が少なくないようだが,これは正確ではない。実際,エストニアの独立記念日は,ソ連邦からの離脱を宣言した8月20日ではなく,冬の最中の2月24日である。
エストニアは,ロシア革命後間もない1918年2月24日にロシアからの独立宣言し,内戦を経て,最終的に1920年2月2日のタルト条約において,ロシア(ソ連邦)もエストニアの独立を正式に承認した。以後,1918年2月24日がエストニア共和国独立の日とされいる。
タルト条約: Treaty of Peace between Russia and Estonia (エストニアとソ連との間で結ばれた和平条約の英訳)
その後,第2次世界大戦勃発後まもない1940年6月,エストニア共和国はソ連邦に併合され,エストニア・ソビエト社会主義共和国というソ連邦の15の構成共和国の1つとなり,この状態が約50年続く。この半世紀間,エストニア共和国は消滅したわけではなくて,ソ連邦の占領下にあったとするのが,エストニア政府の公式の立場であり,これが国際的にも認められている。
1991年8月20日,ソ連邦の首都モスクワがクーデターで混乱し,ソ連軍の戦車が首都タリンに向かって侵攻している中,当時のエストニアの議会,最高会議が,独立国としてのエストニアがかつてのエストニア共和国時代の諸外国との外交関係を回復すること,憲法制定会議をたちあげ,憲法に基づく国会議員選挙を行なうことを宣言した。
参考: Eesti Vabariigi Ülemnõukogu otsus Eesti Riiklikust iseseisvusest (最高会議におけるエストニア共和国の独立に関する決議)
これはエストニアの独立宣言ではなく,占領下を脱して主権を取り戻すという宣言,すなわち独立回復の宣言とされている。2008年2月24日,エストニアは独立90周年を祝ったが。90年続いている独立国の歴史のうちの真ん中の50年が他国の占領下にあったというと,へりくつみたいに思う人もいるかもしれない。しかし,アメリカ合衆国には,その半世紀の間,エストニア共和国の亡命政府が置かれ,合衆国政府はこの亡命政府と正式な外交関係を結んでいたという歴史がある。
今年は,その独立回復から20周年で,独立回復記念日の8月20日(土)の晩には Vabaduse laul 自由の歌 と題するコンサート(入場無料)が,有名な Lauluväljak 合唱祭広場で盛大に開催された。
翌日曜日の21日は,外務省前の Islandi väljak アイスランド広場 で Islandi päev アイスランド祭というイベントが行われている。エストニア外務省の建物は,かつてのエストニア共産党の本部で,その前の広場にはレーニン像が立っており,ソビエト時代,エストニアのソビエト体制の象徴だった場所だ。なぜこの広場が「アイスランド広場」と命名されたのか不思議に思っていたが,1991年8月,独立回復宣をして,諸外国との外交関係を復活させようとした独立国エストニアを最初に承認したのがアイスランドだったという話を聞いて納得した。レーニンに別れを告げたエストニアに最初に手を差し伸べたアイスランドの名前はこの場所にふさわしい。
以前,ドイツ語や北欧語では,エストニア Estland とアイスランド Island が音がよく似ているのでしばしば間違われると,エストニア人がこぼすのを聞いたことがあるが,国名が似ているという縁が,歴史の流れに影響を与えたのかも知れない。
【附記】 ことしは独立回復20周年ということで,記念切手が発行された。[2011/08/23]
関連ページ: 8月20日のタリン旧市街 (2) - Eesti Vabariigi taasiseseisvumise aastapäev (2010/09/02)
関連ページ: 20年前 - kakskümmend aastat tagasi (2011/07/16)
1991年8月,トーンペア丘へ通じる道に築かれたバリケードに使われた石。
8月20日の記念碑として残され,毎年この日に花で飾られる
一番左の花飾りは生け花風である
アイスランド祭のポスター
独立回復20周年の記念切手 (2011)
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