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帆船クルーゼンシュテルン号 - parklaev Krusenstern

 1926年建造の4本マストのバーク型帆船クルーゼンシュテルン号 parklaev Krusenstern が,7月15日,エストニアのタリン港に来航する。

 記事: Kultuuripealinna uhkeim külalislaev on siia teel (Postimees 2011/07/07)
 記事: Legendaarne purjelaev Krusenstern naaseb Tallinna merepäevadeks Eestisse (Postimees 2011/05/10)

 クルーゼンシュテルン号の20年ぶりのタリン港への里帰り帰港の目的は,2011年欧州文化首都のイベントの一つとして開催される Tallinna merepäevad タリン海洋祭 への参加である。

 この船は,2つの意味でエストニアと深い縁で結ばれている。まず,この船の名前の由来となった Adam Johann von Krusenstern (1770-1846)は,ロシア海軍提督で,ロシアで最初に世界周航(1803-1806)を行ったバルト・ドイツ人の探検家として知られるが,生まれはエストニアの Hagudi (タリンの南の Raplamaa ラプラ県) である。19世紀の初め (1803-1809) の航海で日本にも立ち寄ったことが Reise um die Welt (世界周航旅行) という航海記に書かれている。この航海記と一緒に日本列島や日本海の周辺の地図などを載せた地図帳も出された。

 探検家の名前のついた帆船は,1926年にドイツのハンブルクで Padua パドヴァ号(イタリアの都市名) として建造されたが,戦争の賠償の一部として,1946年,ドイツからソ連邦に譲渡されると,現在の名前に改名され,調査研修船として改造されて,1981年までラトビアのリガ港を母港にした。そのあと,ソ連邦が崩壊する1981年までの10年間の母港になったのがタリン港で,エストニア人にとって懐かしい船である。クルーゼンシュテルン号の現在の母港はカリーニングラード港で, Барк «Крузенштерн» がロシア語の正式な名前である。つまり,ロシア語名を転写して Kruzenshtern と綴るのが正しいらしいが,探検家のドイツ語の苗字の現綴りのまま Krusenstern と書かれることが多いようである。

 タリン海洋祭は 2008年に始まった行事で,当初からクルーゼンシュテルン号の里帰りを希望する声があったが,今年のヨーロッパ文化首都の行事を機にそれが実現した。

帆船       purjelaev
帆        puri
船        laev
欧州文化首都 Euroopa kultuuripealinn
タリン海洋祭  Tallinna merepäevad
バーク型帆船  parklaev
母港       kodusadam
到着する    saabuma
造船所     laevatehas
建造する    ehitama
第二次世界大戦 Teine maailmasõda
リガ       Riia
世界周航旅行 ümbermaailmareis

Parklaev Krusenstern

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