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客船 - reisilaev Georg Ots

 エストニアだけでなく,ソ連邦やフィンランドでも人気のあったオペラ歌手 (バリトン) の Georg Ots ケオルク・オッツ (1920~1975) の名前を冠した船が,タリンとヘルシンキの間を航行し始めたのは1980年,モスクワ・オリンピックの年だった。それまで運航していた小さな Tallinn 号は海が少し荒れると縦揺れが激しく,私はよく船酔いしたものだったが,ポーランドのシュチェチン造船所 Szczecin で建造された Georg Ots 号は全長137メートル (乗客 368人,車両 107台) で, Tallinn 号と比べずいぶんと大きくなったので,あまり揺れなかった。Georg Ots 号は 2000年までヘルシンキ・タリン間を運行し,2002年にロシアの船会社に売却された。

 記事: Reisilaev Georg Ots vallutas Kirdeväila
 関連ページ: オペラ歌手 - ooperilaulja Georg Ots (2010/03/21)

 いまでこそ,ヘルシンキとタリンの間は,フェリーが頻繁に往復しているが,私が最初に行き来した1980年前後は,タリン港を夕方出て3時間後にヘルシンキに到着,翌日の午前中にヘルシンキを出てタリンに向かう船の便があっただけだった。ヘルシンキに住んでいた私は一度も利用する必要はなかったが,ソビエト時代には,確か,ヘルシンキ南港に停泊している Georg Ots 号に一晩泊まることもできたはずである。片道3時間かかったのは,乗客のフィンランド人たちが,ゆっくり時間をかけて,できるだけたくさん酒を飲めるようにという,ソ連邦の船会社のサービス (?) だったと言われたが,最高速度が 16~20 ノット (時速30~37キロ) というから,計算してみると,とくにゆっくり走っていたわけでもなさそうだ。それに当時は,時差が1時間あったから,タリンからヘルシンキに向かうときは,実際より1時間余計に時間がかかるような錯覚があったことも確かである。それに,タリンの港では,入国・出国時の荷物の検査が厳しかったから,それだけでもかなりの時間がかかり,また待っている間,緊張を強いられたことを思い出す。税関検査などは,次第に緩やかになっていくものの,1980年代を通じてこの状態は基本的にずっと続いた。

 ロシアに売却されてからの Georg Ots 号は,ペテルブルクとカリーニングラード州のバルティスク Baltiisk / Балтийск の間を往復していたらしいが,10月9日,現地時間の午前9時半,極東のウラジオストク港 Vladivostok / Владивосток に姿を表した。ムルマンスク港を9月9日に出たというから,1ヶ月の長旅である。途中,チュクチ自治管区のアナディリとАнадырカムチャツカ半島のペトロパブロフスクカムチャツキーで給油と食料の補給をしたそうで,実際に海上を航行していたのは半分の16昼夜で,途中で砕氷船に先導されることもあったという。

 北極海航路 Põhja-meretee (Northern Sea Route, Северный морской путь, フィンランド語 pohjoinen meritie) と呼ばれるこの航路は,フィンランド生まれのスウェーデン人,ノルデンショルド Adolf Erik Nordenskiöld がヴェガ号 Vega に乗って初めて航海し東アジアに到達したルートである。個人的には,北東航路 Kirdeväil (Northeast Passage, フィンランド語 koillisväylä) というもうひとつの呼び方のほうに私はより親しみを感じているが,これはベーリング海峡のあたりだけを指している名称かもしれない。実際,エストニア語もフィンランド語も,航路 meretee / meritie ではなく海峡 väil / väylä という呼び方をしている。

 Georg Ots 号は,今後,樺太やカムチャツカ行きの定期航路の客船として使われる。2012年にウラジオストクでの開催が予定されている APEC (アジア太平洋経済協力, Asia-Pacific Economic Cooperation) のフォーラムに参加する各国の代表は,この船に乗ることができるはずである。そういえば,1986年10月,レイキャビクでゴルバチョフとレーガン米大統領が会談したとき,Georg Ots 号が会談の場として使われたのは有名な話だ。世界の目がアイスランドに向いているとき,ヘルシンキ・タリン間のフェリーの運航はどうなっていたのか,興味はあるのだが調べたことはない。

 船は他国に売却されると船名が変わることが多いらしいが,Georg Ots 号の名前は30年間ずっと健在である。ロシアの英雄の名前などに変わっていないのが愉快である。

客船     reisilaev
北の     põhja
海路     meretee
北東の    kirde
海峡     väil
船旅     merereis
燃料の蓄え kütusevarud
食料の蓄え toiduvarud
一昼夜    ööpäev
砕氷船    jäämurdja
氷結していない jäävaba
速度     kiirus
ノット     sõlm

Georg Ots 号 (おそらくペテルブルク停泊中)
Reisilaev Georg Ots

北極海航路。ユーラシア大陸大陸を北から東へ回るので北東航路とも呼ばれる
Northern Sea Route; Северный морско́й путь

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