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8月20日のタリン旧市街 (2) - Eesti Vabariigi taasiseseisvumise aastapäev

 8月20日は,エストニア共和国の独立回復の記念日である。この日も朝から,トーンペア丘のロシア正教会はいつものように観光客でごった返し,ロシア語で礼拝が行われていた。そのロシア正教会の前の通りを南に下ったところにある交差点の南西の角には,19年前の1991年8月20日,ソ連軍の侵入を防ぐために道に置かれた石の1つが,エストニアの独立回復の記念碑として据えられている。観光客がほとんど気づかないで通りすぎるその記念碑には,その日花が添えられていた。

Talinn_20viii1991


 記念碑のかたわらの案内板には,エストニア語,英語,ロシア語で,そのいわれがこう書かれている。

Pikki aastakümneid NSV Liidu kütkeis olnud Eesti tee vabadusele oli keeruline ja ohtuderikas. 18. jaanuaril 1991. aastal, pärast veriseid sündmusi Vilniuses ja Riias tõkestati Tallinnas kõik juurdepääsuteed Toompeale kivirahnude ja betoonplokkidega. 20. augustil 1991. aastal, mil Moskvas toimus riigipöördekatse, võttis Tommpea lossis Eesti Vabariigi Ülemnõukogu vastu otsuse Eesti riiklikust iseseisvusest. Eesti Vabariik taastati vere ja inimohvriteta. Siinne kivirahn asus 1991. aastal tõkkena ühel Toompeale viival teel. Mälestusmärgiks kujundati see 1993. aasta augustis.

数十年の長きにわたり,ソビエト連邦の支配下にあったエストニアの自由への道のりは,錯綜し,危険に満ちたものだった。ヴィルニウスとリガで血が流れたあとの1991年1月18日,タリンでは,トーンペア丘に通じるすべての道が大きな石とコンクリートの塊で封鎖された。1991年8月20日,モスクワでクーデタが起こったとき,トーンペア宮では,エストニア共和国最高会議が,エストニアは独立国であるとする宣言を採択した。エストニア共和国は,一滴の血も流さず,ひとりの犠牲者を出すこともなく,復権された。ここにあるのは,1991年にトーンペアに通じる道の1つに障害として置かれた石である。この石は1993年に記念碑として据えられた。

 トーンペア宮にある内閣府 Riigi kantselei の建物の外壁には,スターリン時代に犠牲となった旧エストニア共和国時代の政治的指導者たちの名前が刻まれた石版が埋め込まれている。(クリックして拡大すると名前が読める)

In_memoriam_1In_memoriam_2

タリンの旧市街の地図 (クリックして拡大)
Tallinna_vanalinna_plaan2

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