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エストニア旅行 - Tallinnast Pärnu

 エストニアというと,フィンランド旅行のついでに時間があったら思い切っていってみると面白い国で,首都のタリンには,世界遺産の中世の街並みと合唱祭広場がある,というイメージが日本では定着しているようだ。

 タリンだけ見て得した気になる初心者レベルからもう一つ上にグレードアップするには,日本からフィンランド航空でヘルシンキに飛んだら,そのままタリンまで乗り継ぐのがいちばんである。どのみちもう一度通らなければならないヘルシンキの観光は帰りにもできるから,後回しにしてかまわない。

 フィンランド航空の日本からの便はヘルシンキに午後3時過ぎに着くので,乗り継いでタリン空港 Tallinna lennujaam に着くと,夕方5時過ぎになっている。この時間からでも,空港からすぐ近くにあるバスターミナル bussijaamに行って路線バスに乗れば,フェリーに乗る必要のある島は除き,エストニア国内のほとんどの都市にその日の午後9時ころには着くことができる。

 エストニアの大抵の都市のホテルはインターネットで予約できるが,ホテルの名前と住所を調べておいて,バスが着いたら直接行くのもいいし,そのほうが安いようだ。観光客の多いタリンのホテルについては知らないが,タリン以外の都市なら,余程のことがない限り,泊まれないことはない。ホテルのフロントとのやりとりは英語で大丈夫である。フィンランド人観光客が多いところは,ホテルのフロントでフィンランド語が通じる。ロシア語も通じる可能性があるが,若いエストニア人だと英語のほうを好むはずである。

 西エストニアのパルヌ Pärnu に行くには 18:30 にタリンのバスターミナルを出るバスに乗る。パルヌまでの所要時間は2時間弱で,20:30 には着く。パルヌに泊まったのは,実は約15年ぶりである。あのときはパルヌで天気に恵まれず,私の場合,これまでこの町のイメージはどちらかというとあまり明るいものではなかった。当時は町のレストランでは,サービスも食事も,まだソビエト時代の名残を色濃く残していたという記憶がある。今はすっかり変わり,田舎町である点は変わってないが,エストニア第1のリゾート都市の風格が備わっている。海の近くにいくと蒸し暑く,汗びっしょりになったことを除けば,町のイメージは私の中では総合点でプラスに変わった。

 前回 (15年前) 来たときは,海水浴場にある Rannahotell (海岸ホテル) に泊まったが,今回は街の中心部の Koidulapark Hotell (コイトラ公園ホテル) に泊まってみた。コイトラ公園 Koidula park は,19世紀の民族主義的女性詩人L・コイトラ Lydia Koidula (本名 Jannsen) にちなむ公園で,コイトラの銅像 Lydia Koidula mälestussammas がある。また,町の中心部のリュートリ通り Rüütli tänav には,コイトラの父で,エストニア語の最初の週刊新聞 Pärnu Postimees を創刊 (1857) したことで有名な Johann Voldemar Jannsen (1819-1890) が新聞の創刊号を手に持っている銅像がある。Pärnu Postimees 創刊150年の記念に建てられたものだが,聞いたが,銅像の立っているところはヤンセンとは縁もゆかりもないらしい。ヤンセン家は川向こうにあって,新聞もそちらで編集されていた。現在,川向こうのヤンセン通り J. V. Jannseni tänav にあるコイトラ記念博物館 L. Koidula Memoriaalmuuseum がその家だそうである。

 エストニアでもっとも古い大学はタルト大学 (1632年創立) だが,そのタルト大学がスウェーデンとロシアと間の戦争 (北方戦争 1700-1721) の影響で閉鎖される直前の時期に,パルヌに移転していたことがある (1699~1710)。そのときに大学があったのは,現在の市立図書館 Raamatukogu (2002 年完成)のあるところで,もともとは,13世紀半ば以降ずっと城 loss があったところらしい。タルト大学は,その後 1802 年になって,タルトの現在の本館のあるところに再建された。

 パルヌの旧市街の城壁 linnamüür はほとんど残っていないが,白い壁の円筒形に赤い三角錐の屋根の塔 (Punane torn 赤搭) とタリン門 Tallinna värav と呼ばれる門が残っている。堀の一部も Vallikäär という名前の海と通じる細長い池として残っている。城のあった町らしく,旧市街には,国王通り Kuninga tänav, 騎士通りRüütli tänav, 精霊通り Pühavaimu tänav, 修道士通り Munga tänav といった名前の通りが見られる。そういえば,タリンにはなぜか,国王通りはなかった気がする。タリンと共通の通りの名前としては,たとえば,長通り Pikk tänav, 広通り Lai tänav がある。

 パルヌの海水浴場についてはガイドブックに詳しいし,前に行ったこともあるのでパスして,パルヌ川河口の防波堤 Pänu muulid へ行ってみた。この防波堤は,河口の川幅をそのままに両岸を約 2.5 km ほど延ばすように海に伸びている。1863-1864年に石を積み上げて造ったものらしいが,造られたあとこれまでとくに改修らしいことはされていないという。2本のうち,川の左岸,海水浴場のある西側の防波堤を先端まで歩いて,そこでキスをしたカップルは永遠に別れることがないという言い伝えがある。名前を石に刻むための道具を準備していくカップルもあるようで,石に刻まれたカップルの名前を見ることもできる。

【補足 2010/08/16】
パルヌで見つけたカラオケ・バーの看板。「ライブ音楽」 elav muusika とあるから,
生演奏と思われるが,寄るだけの時間がなかったので確認していない。
Karaoke_parnus

エストニア語ジャーナリズムの父ヤンセン Johann Voldemar Jannsen の銅像 (2007年)
Jannsen1

パルヌ左岸の防波堤 (付け根)
Muulid2

パルヌ左岸の防波堤 (先端)
Muulid9

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