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キフヌ島出身の大船長 - Kapten Kihnu Jõnn

 エストニアのキフヌ島は小さな島だが,世界をまたに掛けて活躍した偉人が出ていないわけではない。もともと漁業が盛んな島で,船を操ってバルト海から北海へ,さらには大西洋へと出かけるキフヌ人がいたとしても不思議はない。

 そのキフヌ島で一番有名な歴史上の船長が「キフヌ島のヨン船長Kapten Kihnu Jõnn (*) ことエン・ウーエトア Enn Uuetoa (1848-1913) である。キフヌの4年制の教区学校卒業の学歴だけで,パルヌに出て船乗りの修行を積み,ロシア皇帝から世界中お構いなしのお墨付きを戴いて,バルト海全域からイギリスにいたる海域で活躍した。大西洋を渡ったこともあるらしい。キフヌの港の北側の森の中にあるバー Rock City は,船長が指揮していた船の名前。1913年,Rock City 号はデーマーク沖で遭難し,船長が乗った最後の船になった。船長の墓はデンマークにあったが,1992年にキフヌ島の墓地 surnuaed に再埋葬された。

 Kapten Kihnu Jõnn の生家は,島の南部の集落 Rootsiküla の東部にあった。現在は,土台が残っているだけで家はない。船長の生家の跡には「エン・ウーエトア キフヌ島のヨン 1848-1913 生地・旧家」 Enn Uuetoa Kihnu-jõnn 1848-1913 Sünni- ja kodukoht と刻まれた石碑が立っている。

 船乗りの島がソビエト時代をどう生き残ったか,興味深いテーマである。回想録や研究論文があるようだが,詳しいことは私にはわからない。ソビエト時代,キフヌ島には,漁業コルホーズ kalurikolhoos があった。コルホーズ kolhoos (ロシア語 колхоз) は,日本では「集団農場」と訳されていたが,正確には「集団的経営体」という意味で,(農業)コルホーズのほかにも,漁業コルホーズがあった。聞いたところでは,サーミ人のトナカイ飼育やシベリアの少数民族の狩猟経済もコルホーズ化されていたというが,詳しいことは知らない。エストニアには,キフヌ島以外にも漁業コルホーズがあったことはよく知られている。コルホーズのイメージとしては,農業や漁業を個人で営むことを禁止し,農地,農耕器具,家畜,漁船,網などをすべて農協や漁協の所有にして,農民や漁民が農協・漁協に勤める形で農業や漁業に従事するしくみと考えるとわかりやすい。なお,教科書的に言えば,このしくみが個人の労働意欲を減退させ,生きがい形成を阻害したため,農業や漁業が荒廃し,結果的にソビエト体制を崩壊に導いた,ということになる。

* 辞書によると,jõnn はキフヌの男,すなわち,一人前の海の男をさす名詞らしいが,この名詞は jõnn : jõnni と活用する。これに対して船長の名前は Jõnn : Jõnnu と活用するので語幹の母音が違う。この2つ単語の間に関係あるのかどうか,聞くのを忘れてしまった。

キフヌ島郷土資料館に展示してある写真
Kihnu_jonn_foto

Kihnu Jõnn の生家の跡を知らせる案内板
Kihnu_jonn_sunnikoht

Kihnu Jõnn の生家の跡にある石碑
Kihnu_jonn_malestuskivi

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