表示板 - tänavasilt
ソビエト占領下のエストニアでは,地名や道路名は,エストニア語とロシア語で併記がされた。ただ,現在のエストニアに当たる地域は,帝政ロシア時代,ドイツ人の封建領主によって統治されていたので,主な都市や島などの地名には,たとえば Reval タリン,Dorpat タルト,パルヌ Pernau などのような歴史的なドイツ語名があるが,ロシア語名はほとんどない。そこで,ソビエト時代には,ラテン文字綴りのエストニア語の地名をキリル文字に転写したものをロシア語の地名として使うことが行われた。たとえばタリン Таллин, パルヌ Пярну といった具合である。
タリン Tallinn は,エストニア語では nn という綴りで書かれる発音をしているのに,ロシア語では区別がないため,ロシア語のタリンはнがひとつしかない。外国の地図帳には,このロシア語表記からラテン文字転写された Tallin が,エストニアの首都の名前として堂々と載っていることがあった。首都の名前まで間違って綴られるのを見て育ったエストニア人は,アルフォンス=ドーデの「最後の授業」で「いまにあの鳩たちまで,ドイツ語で鳴けと言われやしないかな?」と思った主人公の「ぼく」の心情そのままを体験していた【*注】といえる。ちなみに,日本の旅行代理店や地図帳出版社は,キリル文字転写したエストニア語の地名をロシア語の地名であるかのようにカタカナ表記していたから,日本ではいまでも「タルトゥー」「ピャルヌ」などと書かれることがある。
ソビエト体制が崩壊し,エストニアが独立を回復すると,エストニア語を国語 riigikeel と定めた言語法が制定され,エストニアの地名はエストニア語でラテン文字を使って書くことが義務づけられた。街角からはロシア語併記の通りの名の標識は次々とエストニア語だけの標識に取り替えられたり,ロシア語の部分がペンキで塗りつぶされたりした。ロシア人が住まない農村地域の道路にまであったロシア語表記の地名案内板も次第に姿を消していった。
タルトとラクヴェレ Rakvere の中間のややラクヴェレ寄りにあるラッケ Rakke にはまだ,ロシア語名が併記された通り名の表示板などがかなり残っているらしい。言語監督庁は,地名法違反であるとしており,村長もそれを認め,すみやかに改善すると表明している。言語監督庁によると,古いロシア語表示は,タリン市内でも最近見つかったという。
記事: Rakke tänavatelt leiab senini kakskeelseid tänavasilte (Virumaa Teataja 2010/06/17)
ソビエト体制崩壊直後は,忌まわしいものは見たくないから早く撤去して処分したいと思った人々が多かったと思うが,20年もたった今となっては,こういった過去の名残の表示版などをペンキで塗りつぶしたり,廃棄処分するのではなく,そのまま郷土資料館に収めて,郷土の歴史のコーナーにきちんと解説をつけて展示しておくのがいいのではないだろうか。ソビエト時代を知らない若い世代が,今の独立国家がどれほどありがたいものであるかを体験できるからである。
通り tänav
二言語併用の kakskeelne
道路名表示版 tänavasilt
案内板 viit
村長,町長 vallavanem
役場 vallavalitsus
見過ごされる kahe silma vahele jääma
撤去する maha võtma
言語管理庁 Keeleinspektsioon
法令違反行為 seadusrikkumine
地名 kohanimi
自治体 omavalitsus
【*注】 ただし,「最後の授業」をここで引き合いに出すのは問題がないでもない。というのは,この話では,アルザス人の少年「ぼく」の母語はアルザス語であってフランス語ではないはずだからである。アルザス語は南ドイツ語方言のひとつであり,当時のアルザスではこれが日常語であった。つまり,実は,フランス語がろくにできなかった「ぼく」には,鳥がドイツ語で鳴いてくれたほうが親しみやすかったと考えられる。これは,アルザスは本来フランス領であるべきものだ,ということを主張するためにドーデが書いたフランス民族主義的宣伝だという解釈が今ではふつうのようであるが,ここでは,便宜的に,学校で習った従来の正統派解釈を使ってみた。
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