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城跡 - linnamägi

 4月23日は,聖ゲオルギウスの日で,エストニア語では Jüripäev と呼ばれる。この日はエストニア人にとっては特別な日である。1343年のこの日の前夜に「聖ゲオルギウスの晩の蜂起」 Jüriöö ülestõus と,日本人には発音しにくいことこの上ない名前で呼ばれるエストニア人の最初の民族的蜂起が始まったとされているからだ。当時,エストニアの地を支配していたのはデンマーク。北エストニアで起こったこの民衆の蜂起は,やがて西エストニアからサーレマーへと広がっていっき,鎮圧されたのは 1345年の冬と言われる。

 この反乱の後,デンマーク王は,エストニアをドイツ騎士団に売却したので,エストニアの新しい支配者はドイツ騎士団に取って代わられた。エストニアの異民族支配はこの時から,1918年の独立宣言まで続いたとするのが,エストニアの歴史の教科書の定番の記述である。

 このときの反乱と直接関係がある遺跡ではなさそうだが,タリンとタルトの中間の町ヨケヴァ Jõgeva のすぐ南の小高い丘に,かつての城砦の跡 Kassinurme linnamägi がある。考古学者の調査によれば,この地には,11世紀の前半まで砦があったらしく,また,13世紀の初め頃の集落跡も発掘されている。24日には,この城跡に400人近い人々が集まって,中世の合戦の模様を再現する催しが開かれるそうである。


 記事: Jüriöö ülestõus taaselustub Jõgevamaal 聖ゲオルギウスの晩の蜂起がヨケヴァで再現される

 なお,この城跡のふもとには「底なしの谷」と呼ばれる湖がある。その水源は湖の底にあるらしいから,いわば巨大な泉で,カレヴィポエクが目を洗うときに使った「たらい」が湖になったという伝承がある。

 言い伝えによれば,1860年代に,村の女たちが,ありったけのひもを集めてつなぎ,鍋を結びつけて重りの石を乗せて湖に垂らし,この湖の深さを測ろうとした。しかし,ひもは湖の底にとどかず,諦めて引き上げたところ,鍋には石の代わりに血まみれの雄牛の首がのっていて,「二度と鍋を垂らそうなどと考えたら,お前たち全員を湖に引っ張り込むから,覚えておくがいい」と言ったので,以後は誰も湖の深さを測ろうとする者はいなくなったという。

聖ゲオルギウスの晩 Jüriöö
蜂起,反乱     ülestõus
城跡        linnamägi
城砦        linnus
武器        relv
見物人,観客    pealtvaataja
山,丘       mägi
泉         allikas
底なしの      põhjatu
谷         org
深さ        sügavus
雄牛        härg
雌牛        lehm
頭,首       pää

 クリスマス・イブもそうだが,なぜ前の晩を祝うのかというと,昔は,現在と違って,一日は日の入りとともに終わり,日が沈んだ時点で日付が変わって翌日が始まっていたかららしい。新月と同じで,いわばゼロが始まりと考えられていたことになる。現在も,一日が真夜中に始まるのはその名残だろう。一日の始まるのが,昔より数時間遅くなっただけのことにすぎない。

Jüriöö ülestõus Jõgevamaal Kassinurmes.

Jüriöö ülestõus Jõgevamaal Kassinurmes.

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