シベリアのエストニア人 - eestlased Venemaal
ロシア Venemaa のバイカル湖の西,エニセイ川上流のクラスノヤルスクКрасноярск 地方には 4000 人のエストニア人が住んでいて,ナルバ Narva, ペツェリ Petseri, ラピナ Räpina, エストニア Estonia といったエストニア語の名前の村があるらしい。手元のロシアの地図帳 (1998) で,クラスノヤルスク市周辺の 100万分の1の地図を調べてみたら,確かに,町の南東に Нарва という地名が見つかった。100万分の1の地図では1センチが10キロだから,町からの距離は100 km 前後だ。
この地域に住むエストニア人たちが,エストニアからの観光客誘致を計画し,モスクワのエストニア大使を現地に招くなどの働きかけをしている。[ 記事ページ ] 記事によれば,エストニア人が帰りたくなくなるくらいエストニア的な雰囲気に満ちあふれた土地柄で,そのうえ,ノスタルジーを感じさせる古き良き時代のエストニア語を聞くことができるそうである。
ここで話題になっている人々は,レニングラード州やプスコフ州のエストニア人と区別して,「シベリアのエストニア人」 Siberi eestlased と呼ばれることが多いが,シベリアに住んでいると言っても,1940年代に強制連行された人たちの末裔ではない。文献によると,クラスノヤルスク近辺のエストニア人の集落でもっとも古いものは1848年,次いで1861年,その他は1900年~1910年ころの移住によって出来たものらしい。
なお,現在はどうなのかはわからないが,極東のハバロフスクやウラジオストクにもエストニア人の集落がある (あった) そうである。
なぜこの時期に,エストニア人たちがシベリアに移住したのかという歴史的背景は,さらに調べてみないとわからない。
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