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四半世紀 - veerandsajand

 ソ連邦崩壊の始まりとなったペレストロイカ政策をはじめたゴルバチョフが,ソ連共産党の書記長に選ばれたのが25年前の1985年3月11日である。四半世紀という区切りの年なので,ゴルバチョフの書いた紙面の半ページ程度もある長い論説が週末のNYタイムズに掲載された (私が呼んだのはその国際版の International Herald Tribune の東京印刷版で少しバージョンが違うようだ)。

 Perestroika lost (Herald Tribune は Perstroika, 25 years later)

 内容は解説しないが,ロシアの国内政治に対する批判が書いてあるだけで,エストニアの観点からみておもしろいことは何も書いていないというのが私の正直な感想である。日本の一部の人たちは,ゴルバチョフの改革路線のおかげで,ソ連が民主化され,バルト三国は独立を回復できたのだ,バルト三国の人たちは彼に感謝している,みたいに思っているようだが,もし当時のゴルバチョフがバルト三国のことを親身になって気にかけていたのだとすれば,今のバルト三国について何かひとことコメントしてしかるべきである。ゴルバチョフは,1991年の8月のクーデタのときに幽閉された時点で完全に過去の政治家になったという見方があたっていることを改めて実感した。NYタイムズ企画のペレストロイカ25周年記念「ナツメロ番組」の視聴率はたいしたことがなかったに違いない。

 25年前の1985年3月10日,ゴルバチョフの前任者チェルネンコが死亡したが,私はその日の晩,何も知らずにモスクワのホテルに泊まっていた。翌日の便でヘルシンキに飛んだのだが,モスクワのホテルで聞いたラジオは確かにチャイコフスキーを流していたことを思い出す。ヘルシンキの町についたら,新聞の号外がでていて,「チェルネンコ死亡か?」という見出しが目についた。それで初めてラジオ番組の意味に気づいたのだが,そういえば,ヘルシンキ行きの飛行機に乗ったのは,私のほかには,フィンランドの同僚とヘルシンキに飛ぶらしいロシア人だけで,乗客は3人だった。

 その年の夏,私は現在のコミ共和国の首都シクティフカルで開かれた学会に参加したが,ゴルバチョフ登場のもっとも大きな影響は,学会のレセプションなどでアルコール飲料がまったく出なかったことだった。外国からの学会出席者は早めに退席して,ホテル内の外貨店で酒を買って,部屋に集まって勝手にやりながら憂さ晴らしをしたのだが,それから11年後に,ソ連邦が崩壊するとは誰も夢にも思わなかった。

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