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トーンペアのロシア正教会 - Aleksander Nevski katedraal Toompea

Aleksander Nevski katedraal 世界歴史遺産となっているエストニアの首都タリンの旧市街に,トーンペア Toompea と呼ばれる小高い丘がある。トーンペアにはトーペア宮 Toompea loss があり,現在はこの建物でエストニア議会 Riigikogu が開かれる。このトーペア宮の正面に,トーンペア全体の雰囲気を形作る北ヨーロッパ風の建築様式に対して,ひときわ目立つ思い切りロシア様式の巨大な建築物がある。これが通称アレクサンドル・ネフスキー大聖堂 Aleksander Nevski katedraal と呼ばれるロシア正教会である。

 1900年4月30日,リガ,クロンシュタット,ペテルブルクから教会や軍のトップが列席して,このロシア教会の完成お披露目の式典が開催された。ロシア帝国全国から信者の寄進を募り,比較的短期間で,タリンのシンボルとしてのトーンペアにロシア正教会を建立することが,エストニア対するロシアの支配者としての威信を誇示する目的で行われた事業であったことは明らかで,完成した大聖堂がロシアの西方への勢力拡大の象徴であるネフスキーの名前をつけて呼ばれたのも,また当然の流れである。日本語の Wikipedia に書かれているように,エストニア人に「ロシア支配を想起させる」のが目的のこの建物は,もっともエストニア的な場所,つまり,もっともロシア的でない場所に意図的に建てられたわけだ。礼拝は教会スラブ語で行われた。

Aleksander Nevski katedraal 1900 独立後の1920年代のエストニアで,トーンペアとその麓の自由の広場 Vabaduse väljak の再開発が話題に上ったとき,まず問題になったのは,ハンザ都市の景観に,丸屋根の鐘楼がそぐわないことと,トーンペア宮の庭園だったところに建てられた教会が,宮殿からの東方向への眺めを完全に遮っていることだった。タリンの歴史的景観をまったく無視して建てられた建物だったわけだから,ユネスコの世界遺産の指定からこの建物だけでもはずしてもらいたい気がしないでもないが,心の狭いことを言うのはやめておこう。

 さて,建築から30年もたてば建物も傷んでくる。1928年になると,大聖堂の取り壊しをめぐる議論が活発になった。当時の新聞は「首都では今,トーンペアのロシア教会の取り壊しの話題で持ちきりである。議会で,ロビーで,市電の中で,家庭で,待合室で,パブで,はては市場でもこの話題で盛り上がっている」と書いている。ちなみに,作家の Eduard Vilde は取り壊し賛成派, 軍人の Johan Laidoner は反対派だったらしい。

 ここまで議論されたにもかかわらず,大聖堂が取り壊されず生き残ったのは,正教徒がエストニアの人口のほぼ2割を占めていたためである。1920~1930年代のエストニアは,住民の9割弱がエストニア人で,ネフスキー大聖堂の取り壊しをめぐる議論はエストニア人の間の問題として簡単には決着がつかず,さまざまな理由を付けて決定が先延ばしにされた。結局,1936年,この教会がエストニア正教会の「本山」の教会となったことで存続することになり,以後1940年まで礼拝はエストニア語で行われた。

 翌1937年,大聖堂の修復が始まった。雨漏りのする屋根の修理が緊急の課題で,費用は屋根に使われている金箔を売った収益でまかなうのが当初の予定だった。記録によると,建築当初の鐘楼の丸屋根はほとんど金でできていたので,相当な資金が調達できるはずであった。ところが,1920年冬の嵐で,真ん中の鐘楼の屋根の金箔が剥がれて舞い散り,金箔の大部分が抜け目のない市民たちによって拾い集められ,持ち去られることがあり,そのとき屋根が鋼板で吹き替えられていたらしい。当初の見込みが大幅にはずれて,屋根を取り壊して得られた金はたったの2kgで,これをデンマークの業者に買い取ってもらったが,修復費用の足しとしては涙のような金額にしかならなかったという。

 ソビエト体制下でのエストニア正教会についてはここを参照されたい。

 1928年にエストニア人の作家 August Hindrey が作った風刺的な詩の一節を拙訳で引用する。

See katedraal! Kas rongiga või laevul
sa Tallinnasse siit- või sealtpoolt jõudsid,
kas vankris tulid, jala või kas merel sõudsid,
siis ikka esimeseks paistis kõrgel taeval
see toorelt istutatud katedraal,
see surve kehastus siin meie kodumaal.
Ja igakord siis sinus tõusis viha
ja igakord sa pigistasid hambaid
Ja igakord siis ärkas sinus iha
siit koristada ärritavaid sambaid.

大聖堂よ! 汽車で,船で
タリンへどの方向からやってきても
荷車で来ても,歩いて,あるいは海でも
最初に空高くそびえて見えるのは
建築されたばかりのこの大聖堂
このわが祖国で圧政を体現するもの
いつもおまえの心にこみ上げる怒り
いつもおまえは歯を食いしばる
いつもおまえの心で目を覚ます渇望
この場所から目障りな記念碑を片付けたい

参考文献:Kalmar Ulm: Toompea säravad kuldkuplid トーンペアに輝く金の丸屋根

【補足】 本文を少し改訂 (2010/11/17)

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