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空襲 - õhurünnak

 今日3月10日は,東京大空襲 (1945年3月10日) から65年目に当たり,東京では都知事が参列して慰霊法要が開かれた。

 東京大空襲のちょうど1年前,1944年3月9日の晩から10日の未明にかけて,タリンの町はソ連空軍による空爆を2回受けた。これは三月空襲 märtsipommitamineとして知られる。爆撃に参加したソ連空軍の爆撃機は280機死者554人負傷者659人,およそ20000人が寒空の下に焼け出された。タリンは,この爆撃で建物8000戸が被害を受け,面積で町の3分の1,住宅地に限れば町の半分が破壊されたという。

 街の人口の桁が違うので直接比較できないが,東京大空襲の被害の数字と比べてみよう。

「1945(昭和20)年3月10日午前0時過ぎ,東京の深川,本所,浅草など下町地域に,米軍機約300機が焼夷(しょうい)弾約33万発を投下した。被害地域は約30平方キロに及び,死者約10万人,負傷者約40万人,焼失家屋約27万戸に上った。この後,米軍の無差別爆撃は全国各地で本格化した。」 (毎日新聞)

 もっとも激しい爆撃を受けたのはタリン旧市街の中のハリユ通り Harju tänav からエストニア劇場 Estonia teater の周辺。再建されたニクリステ教会 Niguliste kirik とハリユ通りに挟まれた一画は,現在は公園となっているが,その下には爆撃の瓦礫が埋まっている。また,現在のエストニア劇場の北側にも広い公園がある。

 ソビエト時代,この場所に建物を建てなかったのは,ソビエト様式の建物を建てることによって旧市街の景観が損なわれることを避けたいというエストニア人の強い意志が働いたのだと私は考えている。加えて,空爆の後に建物を建てないことで,暗黙の抗議をするという象徴的意味合いもあったことは間違いない。ソビエト時代には,誰も公には口にしないが,誰でも知っている象徴的な事物やことばがあった。たとえば,多色刷りの新聞紙面に青のインクをうまく使ってレイアウトすると,活字の黒,紙の白と合わせて,独立時代の国旗の青黒白 sini-must-valge の組み合わせになるが,そのために当局からにらまれて首になった編集長がいたという。KGBもエストニア人だから,その象徴的な意味がわかったのである。

 タリンでは,昨晩,66年前の空爆が開始された午後7時15分,教会の鐘が一斉に鳴り響き,犠牲者の追悼が行われた。イルベス大統領もハリユ通りに出かけ,線香を上げて,もとい,ロウソク (*) に火をともして,犠牲者の冥福を祈った。

 【補足】写真で見えるガラスの円筒形のケースに入った野外用のロウソクは,お墓にも供えるので,ちょうど日本の線香イメージで考えることができる。

語彙
 küünal      ロウソク
 meenutama   思い出す,追悼する
 pommitama   爆撃する
 õhurünnak    空襲,空爆
 varemed     瓦礫
 ohver       犠牲者
 hukkuma     命を失う
 haavata saama 負傷する
 elanik      住民
 kodanik      市民
 tänav      通り
 teater      劇場
 kirik       教会

president Ilves Harju tänavas küünalt süütamas

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