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研究する - uurima

 動詞 uurima は,日本語の「研究する」「調査する」に当たる動詞である。この動詞から,uurija 「研究者」, uuring 「研究(すること)」, uurimus 「研究(の成果)」などの名詞が作られる。また,「~を専攻している」と言いたいときにもこの動詞が使える。

 エストニアの,インドや中国の仏典を中心とする翻訳や,仏教文化の研究における第一人者,L・マル氏 Linnart Mäll (1938/06/07 生)が,14日,72歳で亡くなった。[記事ページ] モスクワの東洋学研究所に留学した後,タルト大学の歴史学科の教員として働き始めたが,1970年代の初め,モスクワで拘束された恩師のブリヤート人仏教活動家のために法廷で証言したことが理由になり,タルト大学の東方学教室 orientalistika kabinet の技師に配置換えされ,1983年に名誉回復が行われるまでこの職にあった。1994年には,タルト大学の東方学センター orientalistika keskus のセンター長になっているが,教授になっていないのは,学位論文をまとめる機会を奪われ,博士号が取得できなかったたためと思われる。文化勲章や学術賞を受けている文化功労者であるL・マル氏の訃報をオリンピック観戦中(!)のバンクーバーで聞いたイルベス大統領が,Postimees 紙を通じて弔辞を送っている。[記事ページ]

 1930年代の後半にコペンハーゲン大学などで中国語と日本語を学び,戦後ずっとタルト大学で教えた言語学者のP・ヌルメクント Pent Nurmekund (1906 - 1996)が東方学教室の主任であったころ,この研究室を訪ねたことがあるので,L・マル氏にも会っているはずだが,実は記憶にない。ヌルメクント氏 (この人も博士号がなかったようだ) は,話せなかったけれども日本語の知識があって,共通の話題があったので,その後もタルトに行ったときには個人的に何回か会っている。マル氏と交流がなかったのは,たぶん,彼の方では自分のおかれた立場のために,最初の頃は外国人と個人的に付き合うのを避けていただろうし,私の方も,エストニアでは政治的なものとは距離を置き,1980年代後半のペレストロイカの時期になっても,話題に気を配りつづけていたので,結局,個人的に会う機会が来ることがなかったのだろうと残念に思う。

 ずっと日本語を知っている研究者がいたという点では,タルト大学の方が先だが,今では,エストニアの日本(語)学はタリン大学 Tallinna Ülikool に移り,同大学の学長を務めているR・ラウト Rein Raud (1961年) を中心に動いている。ラウトは,レニングラード大学で日本(語)学を専攻した人だが,彼がまだ学生のころ,タリンに帰省しているときに出会ったのが付き合いの始まりである。彼を知っている人は,日本語を流ちょうに話すので驚いたと思うが,彼が日本語が話すようになったのは,1990年代の前半に初めて日本に数か月滞在したとき以降で,それまでは,私たちはエストニア語でよく会話していたという記憶がある。1990年頃というと,私もエストニア人との会話をフィンランド語からエストニア語に切り替えられるようになってまもない時だったから,支離滅裂なエストニア語でレイン・ラウトと議論していたのかもしれないと思うと,顔から火が出るほど恥ずかしい。

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