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ソビエト時代 - nõukogude aeg

 nõukogude は「ソビエトの」という意味の不変化形容詞。話しことばでは nõugude と縮めて発音されることが多かった。aeg は「時間」だが「時代」という意味でも使う。ソビエト時代のことは,また vene aeg「ロシア時代」とも言う。vene は「ロシアの」という意味の形容詞。

 「ソビエト語小辞典」(Väike soveti keele sünaraamat) というのを買った。約6000語もあるという。私が知らないのもあるし,懐かしいなと思うものもある。soveti keel という表現が使われているが,ソビエト時代の語彙や語法は一般には sovetism と呼ばれる。私が知っていて,わかりやすい語をいくつか拾ってみよう。歴史としては,言語的な悲劇だが,今となっては笑い話と受けとめるよりほかないのかもしれない。略語の読み方や解説は,この辞書を参照しつつ,私が比較的気ままに書いたものである。

NSVL 「エヌ・エス・ヴェー・エル」と読む。ソビエト連邦のこと。エストニア語で言うと Nõukogude Sotsialistlike Vabariikide Liit 「ソビエト社会主義共和国連邦」。

Nõukogude Liit ソビエト連邦。ふつうの会話ではこの表現を使うことが多かった。

Eesti NSV Eesti Nõukogude Sotsialistlik Vabariik 「エストニア・ソビエト社会主義共和国」の略称。NSV は「エヌ・エス・ヴェー」と読む。さらに略すと ENSV 「エー・エヌ・エス・ヴェー」となった。ソビエト時代にエストニアで出た本のタイトルには,Eesti NSV がついたものがたくさんある。ちなみに,現在,エストニア語研究所 Eesti Keele Instituut と呼ばれる研究所のソビエト時代の前身は,Eesti NSV Teaduste Akadeemia Keele ja Kirjanduse Instituut 「エストニア・ソビエト社会主義共和国 科学アカデミー 言語文学研究所」と言った。

KPSS 「カー・ペー・エス・エス」と読む。ロシア語のソ連共産党 Коммунистическая Партия Советского Союзаの頭文字КПССをラテン文字転写したもの。口の悪いエストニア人たちは,Kõva Pidu Sauna ja Seksiga (サウナでの激しい乱交パーティー)ともじった。

EKP 「エー・カー・ペー」と読む。Eestimaa Kommunistlik Partei 「エストニア共産党」の略称。

kompartei 共産党。kommunistlik partei の略。

partei 字義通りには「政党」だが,共産党しか許されていなかったので,共産党のことを意味した。

seltsimees ロシア語のтоварищ「同志」にあたるエストニア語として考案された語。「集まり,仲間」の意味の selts と「男」の意味の mees から成る。1940年に,それまで使われていた(北)ドイツ語起源の härra, proua, preili (それぞれ英語の Mr, Mrs, Miss に当たる) の使用がブルジョア的として禁止されてから導入された。元々は,共産党員の間の呼び名だった。最初,mees が男を指すので,女性を指す語として seltsiline, seltsinaine, seltslanna, seltsitar, naisseltsimees 等々が考案されたが,定着せず,結局,この語が,公式の場での呼称として女性についても使われた。エストニア人に聞いた話では,seltslanna, seltsinaine, seltsitar と聞くと,現代日本語で言う「コンパニオン」をイメージしたという。

kapmaa vs sotsmaa 資本主義国と社会主義国,言い換えると,西側の国とソ連の息のかかった東ヨーロッパの共産主義国のこと。kap は kapitalistlik 「資本主義の」,sots は sotsisalistlik 「社会主義の」の省略されたもの,maa は Eestimaa, Saaremaa, Virumaa などに出てくる maa 「国」。

Brežnevi pakk 「ブレジネフの包み」。ふつう町の商店では売っていなかった,ソーセージや肉類を毎週注文して,日本の生協の共同購入のように職場で受け取る配給制度のこと。1980年代末期にも行われており,茶色の紙袋が使われていた。ブレジネフは,スターリンの後に共産党の指導者になったフルシチョフ失脚 (1964) の後,1982 年まで,事実上ソ連共産党の指導者だった人物で,ブレジネフ時代に始まった仕組みらしい。

sõprusühing 字義通りには「友好協会」= sõprus 「友情」+ ühing「組織」。 ロシア語のобщество дружбыのエストニア語訳。英語では Friendship Society と呼ばれた。資本主義国の人間とソ連邦の人々との交流は,すべて,共産党傘下のこの組織を通じて行うことが義務づけられており,個人的な交流は許可されていなかった。

valuutapood 外貨専門店。valuuta 「外貨」+pood 「商店」。西側諸国からの旅行者用の土産物店で,ルーブルは使えず,ドルを中心とする外貨で買いものをした。

miilits ふつう「民警」と訳す。現在の politsei 「警察」に当たる。

Peda 「ペタ」と読む。現在のタリン大学の前身,Tallinna Pedagoogiline Instituut 「タリン教員養成大学」のソビエト時代の愛称。当時,総合大学 ülikool はタルト大学だけで,Ülikool と呼ばれたタルト大学より格下の高等教育機関という響きがどこかにあった。ソビエト体制崩壊後まもなく,総合大学に昇格し,一時期 Tallinna Pedagoogika Ülikool と呼ばれたが,その後 Pedagoogika が取れて,現在の名前になった。

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