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民族同化 - ümberrahvastamine

 エストニアに現在のように大勢のロシア人が住むようになったのは,第2次大戦後の経済政策や経済事情に伴う人口移動の結果であって,スターリン主義的な民族同化政策によって意図的にもたらされたものではない,とする見解が,バルト研究所 (Balti Uuringute Instituut) の2人のエストニア人研究員によって発表されたという報道 (1月31日) を受けて,これが,エストニアの歴史の定説となっている考え方を真っ向から否定するものであるところから,250通をこえる読者のコメントが新聞のホームページに寄せられるなど,たいへんな反響を呼んでいる。[記事ページ]

 コメントはおおむね批判的で,また,批判的なコメントに対しても賛成票が圧倒的に多く,たとえば,次のような良識派のコメントに対しては,反対票51,支持票13のように風当たりが強い。

「ソビエト政権はその時代を通じてずっと同じだったわけではないし,すべての地域で同じようだったわけではない。政治的抑圧が行われたスターリン時代には,人々が強制に連れ去られ,代わりに別の人々がエストニアに送り込まれた。しかし,それ以後の人口流入は経済的要因によって起こったものだ。人々は農村部から逃げ出して,大都市へ移住した。もし,民族同化が意図的に計画されたものだったとすると,リトアニアのロシア系住民の割合が比較的少ないことや,エストニアのすべての地域に万遍なくロシア系住民が配置されなかった理由が説明できないではないか」

 批判的なコメントは感情的なものが多いが,「もとナルヴァ市民の末裔」の体験話のようになると共感するエストニア人が一気に増える (反対票25,支持票268)。

「ソビエト政権は,戦後,ナルヴァに戻ろうとしたもとナルヴァ市民の住民登録を拒否した。そのため,町はロシア化した。この報告書は,誰かがエストニア人を洗脳する意図をもって作らせたとしか思えない」

 次の話 (反対票4,支持票48) も実際の体験だろうが,古老の語る現代のフォークロアの貫禄がある。こういう話は,書き留められることはめったにないが,何世代にもわたって人々の口から口へと語り継がれていく。子どもたちのロシア人観は,こういう話を繰り返し聞くことを通じて形作られ,学校教育は無力なことが多い。

「1950年代のこと,隣のロシア人女性のところにロシアに住む親戚から手紙がきた:飢えに苦しむことはなく,イラクサが壁に美しく生えている ─ 神様のおかげだ,ありがたい。隣人のロシア人女性は,あらまあ,と故郷ロシアの状況に驚きの声を上げた。そのイラクサを食べていた親戚の人々が引っ越してきたのはまもなくのことだ。」

 「民族同化」と訳した ümberrahvastamine の ümber は「あるものから別のものへ」あるいは「ひっくり返して」というときに使う副詞で,文字どおりには「民族構成の入れ替え」のように訳した方がいいかもしれない。一方「ロシア化」とはっきり言うときには, venestamine という Vene 「ロシア」から作られたことばを使う。

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補足 (02/01)
 この記事のロシア語バージョンのタイトルは「専門家たち:スターリンはエストニアを植民地化しなかった」(Ученые: Сталин Эстонию не колонизировал)となっていて,ümberrahvastamine は,изменение национального состава ЭССР 「エストニア社会主義共和国の民族構成の変更」と訳されている。

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