エストニアのロシア人とエストニア語
エストニアには,エストニア語で授業が受けられる学校のほかに,ロシア語で授業が受けられる学校(「ロシア語の学校」)がある。
エストニアの日刊紙「Postimees」のオンライン版の記事によると,この新学期から,ロシア語の高等学校では,昨年度までの「エストニア文学」「音楽」に加えて「社会」をエストニア語で教えることになった。来年の秋にはさらに「歴史」が追加され,再来年の秋には,授業全体の60%をエストニア語で教えることが義務づけられる。ただし,ロシア語の高校62校の3分の2の41校は,3教科の目標をすでに昨年度までに達成していたそうだ。
ロシア語の小中学校に関しては,エストニア語の授業を行う義務はないものの,79校のうちの59校が一部の教科をエストニア語で教えているとのこと。
学校教育の影響(成果?)かどうかはわからないが,タリンの言語環境が,ソ連邦崩壊後20年間でずいぶんと変わったことを実感する場面は多い。かつて,乗り合いタクシーの運転手,鉄道駅やバスターミナルの切符売り場の職員,デーパートの店員,などなど,公共の場所でのデフォルトの言語はロシア語であった。そのロシア語とエストニア語の関係が今でははっきりと逆転しているのである。
もちろん,タリンの鉄道駅の市場のように,今でもロシア語が優勢で,ロシア語の方がスムーズに行くことが多い場所もないわけではない。しかし,国立図書館のインターネット端末のある部屋のように,ロシア語とエストニア語のバイリンガルの若い女性が,利用する市民の質問に親切に答えているといった,21世紀を肌で感じることのできる場所の方が次第に普通の姿になってきている。
エストニア人は,今でも,ロシア人はエストニア語ができない,学ぼうとする意欲さえない,などと批判するが,エストニアの言語状況が,ソ連邦崩壊後の20年間の間に大きく変わったのは確かである。考えてみれば,先頃,来日した少女合唱団エレルヘインのメンバーたちは,みなソ連邦崩壊後の生まれである。それに対応して,ロシア系住民の側にも,ソ連邦を知らない世代が育ちつつあることを忘れるべきではない。
むしろ,エストニア語系の若者たちのロシア語の運用能力が低下していることの方を心配した方がいいかもしれない。ソ連邦崩壊後,ロシア語が必修でなくなったことに加え,エストニア人の目の向く方向が東から西に転じたためだ。しかし,エストニアは,隣国ロシアと緊密な経済関係,外交関係を保ち続けていくのが現実である以上,ロシア語と縁を切るわけにはいかないはずである。
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